まんがの裏の一丁目

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なんで結城祐奈は勇者であるがダメだと感じたのか、逆になんで良かったと思えなかったのか

 あれだけ犠牲が強調されていて治る可能性を次々潰していったのになんの情報提示もなく治りました。バーテックスもしばらく来ません。ひとまずの平和が来ました。というのがどういうこと?といった感じで理論的な部分での理解ができないので納得できない。
 
 身体の欠損が治る伏線というか、花びらが体に積もったり飛び散ってそれが回復を示唆する演出だというのはわかる。だが、その花びらをつかって身体機能の回復を促した存在が神樹様だったとしたら、神樹様はどういう意図で身体を供物として求めていたのかとか、最後に身体欠損を治したのかという部分が作中で語られていないところが納得できない。
 そんな細かいこといいんだよ!と言う意見もあるだろう。じゃあその部分を抜きにしてダメだと思った部分はあるのかと考えたらモヤモヤしてる理由がわかるのだろうか。
 
 
 まず、最終回を見ても絶賛している人がいるのを見ると「え!」という感情が先に来る。その感想で自分が思いつかなかった視点があって疑問が解消されるのであればびっくりはしても「なるほど」と思う。
 全部の感想を見てるわけではないから中にはあるのかもしれないけれど、実はまだ祐奈だけ勇者をやっているんだよ、最後の演劇の最中の立ちくらみは時間が止まってバーテックスと戦っていたんだというような感想があってそれは思いつかなかったと思ったけど、それ以外は
 
「泣ける」
「感動した」
「みんな元に戻って良かった」
「良かったよぉぉ」
 
みたいなハッピーエンドになったことを素直に喜んでいるだけで上っ面しか見ていない雰囲気が感じられてそんなんでいいの?という思いがモヤモヤとする。
 
「いろいろあったけどみんな助かったぜ!」
 
をやるのは別に悪いことではないし王道という部類に入る物語の終わり方のテンプレートであるからそこに文句を言う人はいないと思う。
 
 
 仮に「みんな助かったぜ!」という部分を否定する人がいるとするならば、それはあそこまで主人公たちを鬱な展開に持って行ってバッドエンドにするかバッドエンドの中にかすかな希望が残ってる終わり方か、一見ハッピーエンドだけど犠牲になったものを全部は取り戻せなかったよ、という終わり方を求めていたのに
「ハッピーエンドにするなんて裏切ったな!」
と思っているからじゃないかな。
 
 私は「あの形の」ハッピーエンドは認められないという立場で、11話を見終わった時点で
 
「この作品をあと1話でハッピーエンドの形で傑作にするのは無理じゃないの、というかこれでハッピーエンドにしたら駄作以外に何が出来上がるんだ」
 
と思っていた。別にバッドエンドが好きとか、ハッピーエンドは認めないというわけではなく、ある程度の犠牲が残る形であったり、全てが犠牲になる形で世界が救われるという話なら1話でどうとでもなるなと思っていた。
 
 
 それ以前に、東郷の行動が無理心中以外の何物でもないところに吐き気に似た気持ちの悪さを感じていたのでよほどの展開にならなければ駄作以外の評価にならないなと思っていた。
 東郷が神樹様に反乱を起こすのは話の展開としてありだと思う。だがその理由が世界を壊すことで祐奈と無理心中というのが「最終回でそんな身内の痴話喧嘩で締めくくるのwしかも直球でw」と思ってしまってダメだった。
 これが最終話ではなくてもう1話あるとかであれば「どうぞごゆっくり気の済むまでどうぞ」という気分になるのだけど、残り1話で痴話喧嘩をやって慰めあって神樹様を守って終わらせるってやると尺が足りないんじゃないの?と考えてしまう。
 実際、すごい勢いで殴って抱きついて説得終了という早回しであっさり根性で倒してしまうのは「ちょっと適当すぎない?いままで色々と丁寧にやってきたのに最後はそれなの?」と言いたい。
 
 根性で倒すのは王道だから説明不要だ。
 私が勇者だー!と叫んで勢いに任せて倒すのは問題無い。
 むしろそこはそれしかない。
 それ以外でこれがバーテックスの弱点でなんだかんだとやっていたら勢いが削がれて何だかなという気分になって失敗する。
 
 問題なのはね、その後のなんでみんな身体欠損が回復したの?っていう部分なんだよ。あれだけ治らない治らない叫んで、それが原因で風先輩も東郷もわめいて周りを巻き込んで暴れて被害を出したんだよ。
 それが「なんだかよくわからないけど神樹様が治してくれました、良かったね」って……子供向けアニメでももう少し説明あるよ、と叫びたくなる。
 
 花びらが目とか体に降り注いだから治ったという演出があったのは知ってるよ。
 知りたいのはなんで最終回のバーテックスを倒した時だけ神樹様が治してくれたのかという意図が知りたいんだよ。そこが重要だと思っているんだ。
 
 そんな細かいところなんてどうでもいいよ、祐奈たちが幸せならそれでいいんだよ、と言ってくる人がいたとしてもそれを否定はしないよ。
 そんな部分はどっちでもいいんだよ、幸せで終わろうが苦渋にまみれた気分のまま終わりを迎えようがそんなのは些細な問題なんだよ。それは好き嫌いの問題でしかない。
 でもね、物語の起承転結や整合性とか因果関係とか一番重要そうな風に見せていた設定とかをぶん投げて終わるなら
 
「すべては謎に包まれたまま何も変わってはいないだけど私たちの戦いは終わった」
 
とすべきなんだよ。
 というかそうなってるよ、今考えたら。
 
 
 
 はぁ、なんかここまで書いたらどうでもよくなったよ。
 
 知りたいのはというか、アニメの中でやって欲しかったのは「満開の代償に肉体の一部を供物として神樹様に捧げていたというのはどういう理由からだったのか、それを無かったことにして欠損を回復させたのはどういう意図があったのか」という部分なんだ。
 
 仮に裏で「供物捧げることで満開というパワーアップできるよってやったら反乱して暴れる人間が出てきたよ、やばくね?今後もこういうことがあるとマズイから訴えられないように捧げられた供物を返すね、あとそんな危険な人間に勇者システムとか使わせるのは危険だから強制引退させるよ」という理由があったとするならば、それを全部言葉で説明する必要はないから推測可能な状態でアニメの中で演出すべきだったんだよ。
 実際にアニメでやるとしたら、祐奈が夢の中で神樹様と対話するとかやれば良かったんだよ。
 祐奈が一度変身が解けて復活するまでの間に神樹様と対話して体が治っていれば東郷さんが神樹様を壊そうとすることなんてなかったんだとか話すと神樹様が祐奈の力でそれをやると反動で昏睡状態になるとかやりとりいれてあれば良かったんだよ。ただそれをやるとまどマギのパクリだねと言われて終わりだけど。
 
 
 でもあれだね、こういう最終回がどーだこーだやるのってそれが肯定的なものであれ否定的なものであれ製作者側からしたら話題になるからオールOKっていう気分かもしれないね。
 話題にならずに有象無象として消えていくよりもどんな形であれ目に触れる機会が増える方が良いこともある。どちらかといえば絶賛している方がいいけれど。
今回は見た感じ半々かな。否定している人も多いけど絶賛している人もイラっとするくらいいるからね。
 
 
 一つだけ懸念しているのは今回の結城祐奈は勇者であるの最終回が話題になって盛り上がったことで、同じように最終回まで伏線張りまくって盛り上げておいてサクッとぶんなげて終わる作品が増えてしまわないかな、という点だけ。
 推理物と見せかけて伏線とか思わせぶりな展開にしておいて最終回は痴話喧嘩で仲直りして終わりとかいう作品とか出てきたらどうしようとか心配してる。
そんなの杞憂だって言う人がいたら、君は新世紀エヴァンゲリオンって知ってる?って言いたい。
 
 
追記
 モヤモヤが残ったままなのは精神衛生上良くないので自分がスッキリするためだけに書いた文章だけど、公開して後悔するのも面白いかなと思ったので載せます。
 作品として否定する気はないと言っても文章読んだら否定してるじゃんと言われると思うのでどっちでもいいです。この先続編が作られたとして話題になって絶賛されて10年先まで続くシリーズになって、テレビで放送されたりネットで公式無料配信されたりしたら優先順位は高くないけど見ます。そりゃあ話題になってたら見ますよ、それをどう思うかは見た人の気持ち次第でしょう。ただ、今回のテレビシリーズを絶賛するかと言ったら「いいえ」と答えるだけです。